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静岡家庭裁判所 昭和44年(少ハ)6号 決定

少年 K・Y (昭二四・一二・三〇生)

主文

少年を昭和四四年一二月三〇日から昭和四五年四月二九日まで特別少年院に継続して収容する。

理由

一  本件申請の要旨は、「少年は、昭和四三年九月一三日静岡家庭裁判所において少年院送致の決定を受けたもので、昭和四四年一二月二九日収容期間が終了となるが、知的能力が劣り、対人接触が拙劣であり、従前の経歴に短期間での転職が見られ、さらに前二回の少年院を出院した際も三月ないし五月で再収容されていることなど、社会生活への導入には相当の期間を要するものと認められる。現在までの処遇経過からみて、保護観察による更生がおおむね期待できるので、仮退院申請中であるが、前記終了までの期間では不十分である。」というのである。

二  そこで当裁判所は、本人の陳述、小田原少年院法務教官境克彦の意見、家庭裁判所調査官作成の調査報告書、その他一件記録を総合すると、次の事実が認められる。

(一)  少年の非行歴は小学校五年生ごろの窃盗に始まり、昭和三六年一二月二〇日教護院に収容、昭和三九年三月一一日帰宅を許されたが、同年一一月一〇日再び収容された。ところが無断外出を重ね、窃盗の非行に及んだため、同年一一月二六日高松家庭裁判所丸亀支部において、在院のまま試験観察に付された。しかし、その後も同様の非行を繰り返して反省は全くみられないので、昭和四〇年六月一七日初等少年院送致となつた。翌昭和四一年九月六日仮退院し、船員、土方人夫となつたが、どの仕事にもなじまず、強盗強姦の非行を犯して昭和四二年二月四日特別少年院送致となつた。翌昭和四三年四月八日仮退院したが、性行は依然として改まらず、就職した上工、船員も半月ばかりで辞めたあげく窃盗の非行を犯し、同年九月一三日当裁判所においてさらに特別少年院送致となり現在に至つたものである。

(二)  少年の精神状況は、再鑑別結果によると、自己統制力不十分であり、易剌激的にして衝動性の強いことが目立つなど情意面にかなりの偏りがみられ、情緒も不安定である。しかして対人関係における共感性も豊かでなく、意志が弱くて何事にも長続きせず、思いつきの行動がなされやすいことなど、社会生活に適応しているとは言えない。

(三)  少年の在院中における処遇経過をみると、昭和四三年九月一四日入院して二級下に編入され、昭和四四年一月一日二級上、同年四月一日一級下、同年七月一日一級上と順調に進級しており、指示された作業に黙々と従事し、生活、訓練とも次第に意欲が認められ、その成績は中の下ないし中の評価を受けている。

(四)  少年の家庭は貧困にして、出稼ぎがちの父との音信はなく、母は病弱で少年の姉の家に世話になつており、従つて少年に対する家庭の保護能力は従前と同様に全くない。少年は、いずれは母の許に帰つて船員になることを希望しているが、取りあえずは小田原市所在の小田原少年園(更生保護会)に帰住して就職することを予定し、双方間に了解がついている。

三  以上を考合すると、少年は在院中何ら反則事故もなく経過し、まずまずの成績であるがら、更生意欲を持たせるため仮退院させることは妥当な措置と考えられるが、少年の性格、過去の生活態度等から考えて、なお当分は保護指導の下に置かないと環境に左右される不安が多分に存するので、仮退院後における保護観察期間を設定するため本件申請を相当と認め、少年院法第一一条第四項により主文のとおり決定する。

(裁判官 岡本二郎)

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